2014/06/19
寺山修司氏のパートナーだった九条(寺山)映子さんが今年4月30日に亡くなった。個人的には寺山氏が作った劇団「天井桟敷」の舞台は第1回公演から始まって、澁谷の並木橋そばにあった劇場での公演まで何度も観ていた。それは一観客としてである。『シナリオ』誌の編集をやるようになって、寺山氏からの電話を受けたり、澁谷の劇場上の喫茶店?に原稿受け取りに行ったことはあったが、ご本人とは直接お目にかかる機会はなかった。お目にかかる機会があったのは、それから随分時を隔てて、弊社で『寺山修司シナリオ集』を企画したとき。劇団はすでに麻布暗闇坂下に移転していた。やはり喫茶店もやっていたように思う。応対に現れた女性が九条さんだったのか、田中未知さんだったのかは定かではない。その女性相手に『シナリオ集』の企画を説明した。実は、寺山氏はその場にいた。いたが、ピンボールマシンに向かっていて、こちらを見なかった。こちらの説明が終わると、女性が「どうですか?」と寺山氏に訊いた。寺山氏は振り返らずにボソッと言った。「いんじゃないか」。それが寺山氏のナマの声を聞いた最初で最後だった。結局、著者と顔を見合わすことなく、『寺山修司シナリオ集』は出来上がった。
Category: シナリオ界見聞録